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first exhibition  "people"

2020/7/23~8/2        STUDIO DIFFUSE MAKE +

人は 人々は。

暮らしの中で時をかさねそれぞれの立場で生きている

「名前(役割)」が与えられているもの

「名前(役割)」のないもの

そのはざまに生きているものたちもすべて共鳴し今を生きている

社会に惑わされることもある
与えられた役割は自分の側面に過ぎないだろう

ただ存在する人がここにいる

その確認ができるのは自分自身だけだ。

IMG_4228_edited.jpg

photo by nishitani tsukihiko

59cm × 145cm
ポリスチレンフォーム キャンバス

鏡 アクリル絵具 透明水彩絵具 2020

"主人公" "I am"

自分は 果たしてジブンが思うような

自分自身であるか

 

自分を形成しているものはジブンが思うより多いのかもしれない

立場や年齢、性別、人種 様々な面で自分はできあがっている

それは時代が変わるたび 更新されているものだ

他者から見られる自分も そのたびに変わっているだろう

 

鏡は毎日使用する

他者に見られることを意識し化粧をし、気分の確認をし、整える

見られたい こうなりたい自分を形成させる道具のひとつだ

 

その鏡に自分はどう映るのか

映るのはまぎれもなく今の自分自身だ

https://note.com/jona3_1/n/n8d538b299d8e

IMG_4229.JPG

photo by nishitani tsukihiko

ポリスチレンフォーム キャンバス

アクリル絵具 透明水彩絵具 2020

"non poster"

広告を目にしない日はない。

何をそんなに主張しなければいけないのか私にはわからない。

わかっているのは主張していることと主張していないこと、どちらも大事なんじゃないかということ。

人は、主張する人だけが人として認識されるのだろうか

主張できない、しない人もまた、人であることに違いはない。

 

風景はどうだろう

人以外の自然は常に成長してそこにたたずむ、流れる。

人も同じではないのだろうか。

 

キャンバスに描かれる人のようなシルエットは、主張しきれない人々だ。

その人々は街の片隅で見る広告のように壁に貼り付けられている。

広告の周りには、風景のような色彩がまとい、空間を埋める。

まるで自然の流れのように。

https://note.com/jona3_1/n/n9307f8091028

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